「松前の花 土方歳三 蝦夷血風録」上・下 富樫倫太郎 中公文庫
「箱館売ります」の富樫倫太郎さんの「土方歳三 蝦夷血風録」第二弾。この本もよかったです。この本のラストは号泣です。
「箱館売ります」よりも、土方歳三様の登場シーンは少なく、人見勝太郎と伊庭八郎のほうが主役級なのですが。いえ、この二人よりも、蘭子という松前藩の重臣の娘、世が世ならお姫様と呼ばれた娘と、小野屋の藤吉という松前の和菓子職人が主役なのですが、歳三様の存在が、やっぱりこのお話の中核なのです。
北海道に旧幕府軍は渡り、土方歳三様は松前を征服し、人見勝太郎が松前奉行として着任した頃からこのお話は始まります。松前藩の重臣の娘、蘭子は、父を松前藩の政府側の者にむごく殺されたうらみを胸に刻みその男を討つ、いわゆる仇討のために、髪を切り、男装して、人見勝太郎の傍にいます。この蘭子ちゃん、十七歳。しかし、彼女は単に男勝りだから仇討をしようというわけではないのです。蘭子ちゃんは労咳なのです。もう長い命ではない。それならば、父の敵を討つ、その目的のために残された命のすべてを燃焼し尽くしたい。その一途な思いを抱えて、生きているのです。
蘭子ちゃんは、土方歳三と出会い、恋します。しかし、もちろん、その気持ちを告げることもなく・・・。歳三様は、蘭子ちゃんが労咳だとすぐ気づきます。歳三様が弟のように思っていた沖田総司と症状が似ていたからです。
「あの人は総司に似ている」
と、歳三様は思います。歳三様が蘭子ちゃんのことを本当はどう思っていたのか、それはよくわかりません。箱館の歳三様に色恋をするような心のゆるみというかゆとりはなかったはず。死を思い定めていたでしょうし。ただ、蘭子ちゃんと沖田総司を重ね合わせていたのではないかな・・・と思います。
蘭子ちゃんの仇討は成されたのでしょうか?それは読んだあとのお楽しみですが、労咳が進んだ蘭子ちゃんの運命はいずれにしろ死しかないのです。ちょっとネタバレなのですが、この蘭子ちゃんの最期は号泣です。でも、富樫さんがすごくあたたかく描き出してくれているので救われます。
一部引用しますと。
何も見えなくなった。
何も聞こえなくなった。
何も感じなくなった。
何発もの弾丸が体に命中したはずなのに、痛みをまったく感じないのが不思議であった。
やがて、何とも言えぬ心地よい温かさが蘭子の体を包み込み始める。
と、富樫さんは書いています・・・。あー、ここ読んでいるとき、涙が止まりませんでした。
最後の章で、五稜郭で、歳三様と伊庭八郎が語り合うシーンがあります。
「誰にだって迷いはあるさ。人間ってのは、そんなに単純でも強いものでもないだろう」
「土方さんにも迷いがあるんですか?」
「おれか・・・」
土方が小首をかしげる。
「最初から箱館で死ぬつもりだったし、今でもその覚悟に揺らぎはない。だが、心に何の迷いもなかったと言えば、それは嘘になるな。おれだって、そんなに強くないのさ」
「何を迷ったんです?」
「ま、いいじゃないか」
土方がにこっと笑う。
「その話は、あの世に逝ってからゆっくりすることにしよう。蘭子さんも交えてな」
「土方さん・・・」
「そうしようじゃないか」
「・・・・・・・」
何も言えなくなり、伊庭はじっと土方を見つめた。
歳三様は何を迷っていたと、富樫さんは言いたかったのでしょう。でも、なんだか、この歳三様のセリフ、読んでいて救われたような、ほっとしたような気持がしたのです。
それから、蘭子ちゃんを好きな人見勝太郎。でもそれを告げることもできず悩む人見。そんな人見に、蘭子は土方さんが好きだぞと諭す伊庭八郎。この二人、よかったなー。特に伊庭八郎。この人、事実としても相当美男子だったそうですね。箱根戦争で片腕を失った隻腕の美剣士。当時は相当話題になった方らしいです。この人が主役の小説がもっとあってもいいと思います(池波先生が書かれておられますが)。この伊庭八郎が、人見さんを慰め諭すセリフがこちら。
うーん、八郎さま、かっこいい。
それから伊庭八郎が土方歳三さまに蘭子ちゃんの最期について語るシーンも印象的です。
伊庭「最後にこう言いましたよ、『土方さまなら、きっと私の気持ちをわかって下さると思います』と。そう言い残して、敵陣に駆け込んでいきました。それが蘭子さんを見た最後です」
土方「そうか」
土方はうなづき、それきり黙り込んだ。
この歳三さまの沈黙がいいですねえ・・・。
「箱館売ります」「松前の花」の二作品を読んで、私は、こういう土方歳三様を書いてくれた富樫倫太郎さんに感謝の気持ちで一杯です。
司馬遼太郎さんが亡くなって、土方歳三様を描く作家としては、もう司馬さん以上の作家さんは出ないだろう。そう思っていました。「燃えよ剣」や「新選組血風録」を読んだ時に感じた、「ああ、読み終わってしまいたくない。ずっと読んでいたい。このままページが永遠に尽きなければいい、ずっと歳三様の活躍を読んでいたい」、そういう思いはもう他の新選組本を読んでも感じないのだろうなあ、と。でも、私は富樫さんのこの「土方歳三 蝦夷血風録」シリーズの二冊で、その思いを感じました。ページをめくりながら、早く先を読みたいという思いと、読み終わりたくないという思いと。愛しくなるような作品でした。